青木此君楼

青木此君楼(あおき しくんろう)

本名・青木茂雄
1887年(明治20年)4月13日 – 1968年(昭和43年)2月20日

最初、定型俳句を作っていたが、自由律俳句に転身し、1915年に層雲に加わる。
俳句の短律表現を極めようとし、短律俳句全盛の頃、その代表的俳人と見なされていた。
その後も短律運動を貫く。
俳句は天平精神に立ち返るべきことを提唱したこともある。
「新俳句」(後、「木槿」に改称後、「新俳句」に戻す)を仲間と創刊、選者となる。
句集として「此君楼」「柊の花」「流れ木」「せきれい」などがある。

代表句

・炬燵に寄りて母の日
・涼しさに一人去り二人去る
・草は月夜

略歴

福井市生まれ。
福井中学校を卒業した後、内務省や京都市役所、福岡県田川郡の山下鉱業宮尾炭鉱、広島県安芸郡越村、大阪市天王寺区椎寺町で文房具商、大阪市北区役所、大阪市立扇町高等女学校など、住所、仕事を転々とする。
杉山律子と結婚、子供は二男、四女。
胃潰瘍と老衰にて亡くなる、享年八二歳。
多磨霊園に墓地がある。

参考文献