佐瀬広隆


佐瀬広隆(させ ひろたか)

1946年(昭和21年) –

自由律俳句協会会長。

ぎんなん句会で活躍。

父母は自由律俳人の佐瀬茶楽と佐瀬志づ子である。

代表句

・寒がゆれる赤ん坊の手の指さき

略歴

千葉市在住

参考文献


海鳴り : 自由律俳句集 2011年 ぎんなん叢書2

佐瀬広隆 監修/佐瀬茶楽 著 随翁井泉水秀句鑑賞 2008年 層雲叢書

おじゃらりんご

おじゃらりんご

おじゃらりんご

旧号・おじゃら りか/おじゃら倫子
洋名・Rica Ojara Manzana

昭和生まれ-

自由律俳句会 林檎幻空を主宰する。
インドネシアのバリ島移住前後の時期より、インターネット上で俳句を研鑽する。
2017年に自由律俳句会 林檎幻空の活動を開始し、毎月、同人たちと電子書籍にて俳句集を発行するなど活発に活動している。

代表句

・ピカソも山頭火もアタシも裸足
・モスクにも教会にも雨
・ぢっと見つめている 花模様の爪ピポパ

略歴

東京都足立区北千住に生まれる。
公立高校、某私立大学商学部を経て石油元売り会社に就職。
10年勤務した後、早期退職制度を利用し、インドネシアのバリ島/芸術の村 UBUDに移住する。
2003年に帰国後、北千住にアトリエを構える。
2007年、北千住に、アートギャラリー「おじゃら画廊」を開店。
現代芸術家として、前衛的な表現の作品を中心に様々なジャンル(油彩、日本画、彫刻(塑像)、陶芸等)の創作活動を行っている。




横山林二

横山林二(よこやま りんじ)

本名・横山吉太郎
旧号・賀茂水
1908(明治41年)12月20日 –1973(昭和48年)2月25日

1924年(大正13年)層雲に入り荻原井泉水門下となる。その後、栗林一石路橋本夢道などと共にプロレタリア俳句運動を行う。
1930年に層雲退会後、「尖行」を設立(後、「俳句前衛」となる)。「プロレタリア俳句」「俳句の友」「俳句生活」などを創刊するが、治安維持法により、1941年から1943年まで投獄される(新興俳句弾圧事件)。
戦後は新俳句人連盟常任委員、現代俳句協会会員、「道標」同人。
死去した年、「俳句人」1973年6月号で「横山林二追悼特集」が組まれている。遺稿である「喪失」の他、関係者が寄稿。

略歴

東京都港区に生まれ、芝新網町(現在の浜松町)で成長する。芝新網町は江戸期以来、三大貧民窟として知られ、明治以降もスラム街を形成していた。
父は露天商、母は日雇い、姉は芸者、女工として生計を立てていた。林二は貧民層のために作られていた特殊小学校や専修商業学校を経て、早稲田大学政経学部卒。
こうした経歴がプロレタリア俳句へと進んだ背景と思われる。
品川区上大崎の自宅にて64歳で逝去(喀血による窒息)。