放哉の小径紀行(鳥取県鳥取市)ー後編

尾崎放哉 自由律俳句

鳥取市内には放哉の句碑が点在していますが、後半のルートには放哉の句碑があちこちで目につきます。
放哉ファンには楽しい句碑巡りになるはずです。
きっと自分の好きな放哉句が見つかると思いますよ!

■句碑「しっとり 濡れし橋を行く雨の明るさ」

旧修立小学校跡地に建つ句碑
しっとり 濡れし橋を行く雨の明るさ

さて、樗谿公園を出れば、放哉の小径の後半に差し掛かります。
次に目指すのは観音院になります。

●観音院と広徳寺

放哉の小径 観音院
観音院は正式名称を補陀落山慈眼寺観音院という天台宗のお寺です。
特に国の名勝にも指定されている観音院庭園が有名で、見事な庭園美を鑑賞することができます。
観音院庭園を見るための料金は大人が550円、高校生以下が350円となります。
この料金には抹茶代が含まれています。
抹茶をいただきながら、庭園美に浸ることができるスポットです。
放哉の小径 広徳寺

放哉の小径 廣徳寺
観音院の先には広徳寺があり、江戸時代初期に活躍した鎌倉十七の墓があります。
力士としては最古のお墓と言われています。

■句碑「淋しいからだから爪がのび出す」

本草学者の平田眠翁の墓参道の案内碑の横に句碑があります。
淋しいからだから爪がのび出す

●尾崎放哉住居地址

放哉の小径の中でも重要スポットがここ尾崎放哉住居地址です。
以前はここが生誕地とされていましたが、尾崎放哉が一歳の時に吉方町からここに転居してきたことがわかっています。
生誕108年記念で鳥取文芸協会が放哉の代表句の一つ「せきをしてもひとり」の句碑を建てています。
せきをしてもひとり

■句碑「こんなよい月を1人で見て寝る」

須磨寺時代に詠んだ句で、放哉句の中でもこの句が好きな人は多いようです。
この頃から、放哉の句がどんどん輝いてきました。
こんなよい月を1人で見て寝る

■句碑「足のうら洗へば白くなる」

足のうら洗へば白くなる

■句碑「雨の幾日がつづき雀と見てゐる」

雨の幾日がつづき雀と見てゐる

■句碑「わが足の格好の古足袋ぬぎすてる」

 わが足の格好の古足袋ぬぎすてる

●尾崎放哉生家跡

放哉の小道の終点は住宅街の中にある尾崎放哉生家跡です。
現在、写真のように美容院となっています。
尾崎放哉生家跡

■句碑「春の山のうしろから烟が出だした」

終点の尾崎放哉生家跡にある句碑が辞世の句というのは象徴的です。もちろん、逆に生家跡からお城のほうへと辿っていくコースも良さそうですね。
春の山のうしろから烟が出だした

●放哉の小径を訪ねるときのおすすめ宿

以上、放哉の小径をご紹介してきましたが、遠方から放哉の小径を訪ねる場合、ホテルか旅館に泊まることになるでしょう。
鳥取県の県庁所在地である鳥取市内には、たくさんのホテルや旅館があります。
ですから、宿泊先には困らないでしょう。
鳥取市のホテル・旅館

※放哉の小径を周った後、時間があれば倉吉市にも行ってみましょう。
鳥取県東部にある鳥取市から西へ50キロほどのところに鳥取県中部になる倉吉市があります。
車だと1時間ぐらいで行けますが、この倉吉市には放哉とも交流があった河本緑石がいました。
倉吉市には、河本緑石記念館があるので、自由律俳句に興味がある人は訪ねてみると良いでしょう。

 

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放哉の小径紀行(鳥取県鳥取市)ー中編

尾崎放哉 自由律俳句
さて、鳥取城の堀の内側にある旧鳥取一中を出発した放哉の小径は南へと山沿いの道を進んでいきます。なんとなく東側に歩いているイメージがありますが、実際上は南に向かってます。
このあたりは神社仏閣や山の手の閑静な住宅街がつづく落ち着いた街並みが特長のエリアです。
次に目指すべきスポットは興禅寺になります。

●興禅寺

興禅寺

放哉の小径から少し外れて山側に歩いていくと左側に興禅寺があります。
興禅寺は黄檗宗のお寺で鳥取藩主池田家の菩提寺としても知られています。
写真左の本堂は国の登録有形文化財にに指定されてます。
写真の奥側の山のほうには古い墓地があり、伊賀越えの仇討ちとして知られる鍵屋の辻の決闘で見事に弟の仇を討った渡辺数馬の墓などがあります。
他にも、武人として知られた猪多伊折佐、臼井本覚の墓地もここにあります。

この興禅寺には尾崎家の墓があります。
放哉の父親である尾崎信三が建てた墓で、「先祖累世之墓」と刻まれています。
ここに尾崎放哉の遺骨の一部が収められています。

また、境内には昭和5年という古い時期の尾崎放哉の句碑があります。
これは放哉5周年忌の前の日に除幕式が行われた古い時期の句碑です。
刻まれている句は辞世の句と言われる「はるの山のうしろからけむりが出だした」です。
鳥取にある尾崎放哉ゆかりの地を巡る旅では欠かせない場所と言えます。
興禅寺の尾崎放哉句碑

●完龍院と他の寺院

興禅寺を出て、さらに放哉の小径を南へと進んでいくと、道沿いにたくさんの寺院が見られます。

■大隣寺

放哉の小径を歩いていると左側に臨済宗妙心寺派に属する大隣寺の階段が見えます。
放哉の小径 大隣寺

■本慈院と芳心寺

大隣寺の先に本慈院と芳心寺が並んでいます。
芳心寺は日蓮宗に属する寺で、本慈院はその塔頭です。

放哉の小径 本慈院 芳心寺

■完龍院

芳心寺の横にあるのが完龍院で、こちらも芳心寺の塔頭です。ここは、尾崎家の元菩提寺だったところなので、ゆかりの地と言えます。
放哉の小径 完龍院 

放哉の小径 完龍院

●樗谿公園(おうちだにこうえん)と梅鯉庵(ばいりあん)

完龍院から少し歩くと左側に素敵な感じの公園が見えてきます。
それが下の写真の樗谿公園です。
そろそろ歩き疲れたころだと思うので、公園内で一服しましょう。
ここから先はだんだんと街に入っていくため、休憩できる場所があまりないので、ここでのんびり一休みするのがおすすめです。

梅鯉庵
写真の中で右側に見える建物が梅鯉庵です。
梅鯉庵の庭園は県内でも梅の名所として知られているスポット。
営業時間は9時から17時で、休憩料金は大人50円、中学生以下と高齢者20円、障がい者は無料となっています。
月曜日と祝日の翌日は休みなので注意しましょう。

放哉の小径 樗谿公園
樗谿公園内は散策にも最適です。園内を流れる樗谿川は蛍の名所としても有名です。

●鳥取市歴史博物館やまびこ館と鳥取東照宮

樗谿公園をさらに奥へと進んでいくと右側に鳥取市歴史博物館やまびこ館が見えてきます。
鳥取市歴史博物館やまびこ館
わかりやすい展示をしているので、鳥取の歴史を知るためには便利なスポットです。
ここからさらに奥に行くと鳥取東照宮(樗谿神社)があります。
鳥取東照宮には17世紀半ばに作られた本殿、唐門、拝殿および幣殿があり、これらは国の重要文化財に指定されています。

樗谿公園で一休みしたら、放哉の小径紀行ー後編に続きます。

 

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放哉の小径紀行(鳥取県鳥取市)ー前編

放哉の小径

尾崎放哉 自由律俳句

鳥取県鳥取市生まれの自由律俳人、尾崎放哉が生まれたのは西暦で言うと1885年です。
その生誕130年を記念して鳥取市に「放哉の小径」が設定されています。
パンフレットがあるので掲載しておきます。
放哉の小径 地図
場所は放哉の生誕地周辺になります。
放哉の生家は元鳥取藩士だったこともあり、鳥取城のある久松山の麓付近に放哉の小径があります。

パンフレットの左上のほうに鳥取城や鳥取県庁があります。
鳥取西高等学校から始まり、そこから南のほうに下る感じで、最後は尾崎放哉生家跡まで続いています。

つまり、鳥取市の観光スポットである鳥取城とコラボ出来る絶好のロケーションにあるので、訪ねてみるには最適の場所です。
きっと若き日の放哉が歩いた場所を実際に巡ってみれば、放哉への思いはさらに高まると思います。

ここでは放哉の小径をご紹介します。

●旧鳥取県立第一中学校

放哉の小径の出発点は鳥取西高等学校になります。
尾崎放哉 鳥取西高等学校
ここは放哉が卒業した鳥取県立第一中学校の後身に当たります。
中学時代の放哉は野球や文学に活躍していました。
その後のエリートコースを期待させる前途洋々たる少年時代だったと言えるでしょう。
放哉は鳥取藩の時代に藩校であった尚徳館の流れをくむ、この名門の鳥取一中を卒業して東京へと羽ばたいていきました。

※尾崎放哉の中学時代の俳句

この鳥取西高等学校は鳥取城の堀の内側にあり、元々、鳥取城三の丸があった場所だそうです。
因みに上の写真の背後に写っている山が久松山で、この頂上に鳥取城がありました。

●吉川経家公の像

上記の鳥取西高の敷地のすぐ横に「吉川経家公」の像が建っています。
鳥取城 吉川経家
鳥取城といえば、かつて織田信長方と毛利方が戦った鳥取城での攻防戦が有名です。
実際に現地で戦ったのは中国攻めを任されていた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と石見の国から来た毛利方の将である吉川経家です。
2万の敵の大軍に対し、毛利方の吉川経家は1800の兵と2000人の農民たちと共に援軍を待ちながら天然の堅固な城塞である鳥取城に籠城し、徹底抗戦をします。
しかし、毛利方の兵糧運び込みも失敗、また、たくさんの農民たちがいたこともあり、食料が尽き、餓死者続出という悲惨な状況に陥ります。
最早これまでと覚悟を決めた経家は自らの命と引き換えに城内の者の助命を願って自決します。
まだ30代半ばの経家には幼い子供たちがおり、子どもたちにわかるように、ひらがなで次のような手紙を残しています。一番下に書かれているのが子どもたちの名前です。

とつとりのこと よるひる二ひやく日 こらえ候
ひゃう(ろう)つきはて候まま 我ら一人御ようにたち
おのおのをたすけ申し 一門の名をあげ候
そのしあわせものがたり
おきゝあるべく候    かしこ
天正九年十月二十五日    つね家 花押
あちやこ 申し給へ   かめしゆ まいる   かめ五   とく五

内容を現代風に言うと「お父さんは鳥取で200日間頑張りました。でも、食べものがなくなってどうしようもなくなりました。だからお父さんの命と引き換えにみんなを助けることにしました。これで一門の名も上がると思います。この幸せな物話を是非聞いてください」というような感じです。

この戦いは「鳥取城渇え殺し」と呼ばれています。
因みに秀吉に従って、この戦いを主導したのがNHK大河ドラマの「軍師官兵衛」でお馴染みの黒田官兵衛です。


この話をモチーフにした鳥取城のマスコットとして「かつ江(渇え)さん」が発表され話題になりましたが、わずか三日で公開停止にされています。
かつ江さん
この鳥取城内には鳥取県立博物館や旧鳥取藩主池田家の別邸であった仁風閣(じんぷうかく)という国の重要文化財に指定されている洋館があります。また久松公園は桜の名所としても有名です。

せっかくですから、いろいろと回って鳥取の歴史や文化を感じてみると良いでしょう。

放哉の小径紀行(鳥取県鳥取市)ー中編に続く

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