池原魚眠洞

池原魚眠洞(いけはら ぎょみんどう)

本名・茂二
1893年(明治26年)12月3日 – 1987年(昭和62年)2月13日
大正7年に荻原井泉水の門下となり、その後、「層雲」の選者となるなど活躍。
層雲賞や層雲文化賞を受賞したこともある。
しかし、昭和43年に、層雲を去り、自ら「視界」を創刊して主催した。視界においては「現代詩としての一行詩」を理念にしたという。

代表句

・笑つてわらつて涙が出るほど笑つたあとの、みかん
・月の明るさは音のない海が動いている
・いちにちうちにいて冬の日が部屋の中移ってゆく

略歴

鳥取県気高郡鹿野町鹿野に生まれる(現在は鳥取市)。
東京高等師範学校専攻科を卒業し、愛知県において教育者となる。
中学教員、校長などを務める。
その後、金城学院大教授になり、後、金城学院大学名誉教授。