層雲を止めたその後

執筆者: 田中信一

層雲が分裂し、嫌になって層雲を止め、20数年。小山代表が青穂を出しているのを知り参加。
小山代表とは馬が合わず、止めました。
・夕日が射すだけの部屋で一生なにをしていた(自嘲) 和田光利
の様な人が今は居ません。
 それで、吉岡禅寺洞系の新墾を知り入って見ました。
ここも、作る句ばかりでした。
 私の求める自然に生まれた句、俳句で人生を修養すると言うか、人生と深く触れ合える俳句を目指す者としては、何処も不満です。
 現代は、俳句の本道を歩んでいる人が見えません。


 駄句です
・地獄におれば地獄でうたう
・青い空があるかぎり生きてゆける
・かんなの花の折れてなお赤い
・つぶした蟻がつぶれた体で歩く
・日暮れ蟻は運べない働いている
・イビツにゆがんだ花なりに咲こうとしている
 上島鬼貫——真実の外に俳諧なし
・自由律の灯を燈せ、灯を消すな?
・俳句はいい。生きる力となる。
 山本健吉の評論は、本当に為になると思う。
 天籟通信の精神
真摯な批評こそが人と句を育てる。
貧しく飢えているときこそ、人は芸術や尊厳を必要とする。

【一部省略】