山頭火と交流のあった人たち

執筆者: 田中信一

春陽堂の山頭火の本16冊を二度読んで、層雲に参加した。

今から40年も前になる。当時はまだ、山頭火と親交のあった人は生きていた。

今を除いては、それら親交のあった人から話を聞くことは出来ぬ。と感じ、話を聞きに何度も訪れた。

・下関・長府の近木圭之介。彼は、山頭火からの葉書を、きちんと整理して何通も持っていた。座敷には『淡きこと水のごとし』の山頭火の大きな扁額を掛けていた。

・八幡の工藤土筆。旧制中学の国語教師。長野の佐久にも居れば、鳥取にも居た。そこで、関口親子や河本緑石とも交流が有った。

山頭火の日記には『土筆さんはいい人だ』の記述がある。

・同じ八幡の木村幸雄。旧制八幡中学で飯尾青城子から剣道を教わった。

・それに大牟田の兼行桂子。奈良で教師の勉強をしていて、その下宿に山頭火を泊めてやった。

山頭火の親友であった木村緑平と桂子さんの兄は、長崎医専で同級。一緒に女郎、買いに行ってたらしい。それで、緑平の再婚の話が有った時、桂子さんは、断ったとの事。

 以上40年前は、山頭火に関して恵まれていた。

層雲を止めたその後

執筆者: 田中信一

層雲が分裂し、嫌になって層雲を止め、20数年。小山代表が青穂を出しているのを知り参加。
小山代表とは馬が合わず、止めました。
・夕日が射すだけの部屋で一生なにをしていた(自嘲) 和田光利
の様な人が今は居ません。
 それで、吉岡禅寺洞系の新墾を知り入って見ました。
ここも、作る句ばかりでした。
 私の求める自然に生まれた句、俳句で人生を修養すると言うか、人生と深く触れ合える俳句を目指す者としては、何処も不満です。
 現代は、俳句の本道を歩んでいる人が見えません。


 駄句です
・地獄におれば地獄でうたう
・青い空があるかぎり生きてゆける
・かんなの花の折れてなお赤い
・つぶした蟻がつぶれた体で歩く
・日暮れ蟻は運べない働いている
・イビツにゆがんだ花なりに咲こうとしている
 上島鬼貫——真実の外に俳諧なし
・自由律の灯を燈せ、灯を消すな?
・俳句はいい。生きる力となる。
 山本健吉の評論は、本当に為になると思う。
 天籟通信の精神
真摯な批評こそが人と句を育てる。
貧しく飢えているときこそ、人は芸術や尊厳を必要とする。

【一部省略】

雑感と句

執筆者: 田中信一

俳人、夏井いつき氏に見る自由律俳句復活へのヒント を受けて…

確かに夏井いつきのユーチューブと同じ程度ものが自由律には有りません。
このネットの時代、これでは発展は有りません。人材が無いと思います。


 以下駄句を書きます
・65年の人生を捨てた
・層雲は酷い3度泣かされた
・層雲の道?現実は酷いものだ
・つぶやかねばならない吐き出さねばならない
・もう泣かされるのは嫌だ墓の前
・言いたい事は、それだけか
・地獄におれば地獄でうたう
・青い空があるかぎり生きてゆける
 お手数をおかけしますがよろしくお願いします 

 層雲は酷かったです。
井泉水死後、主だった人6人位が協議して運営していく事に成っていたと思います。
それが何の協議も無く分裂しました。
これが1回目の泣かされた事です。
・余り書くまいボロが出て来る
です。