久保白船

久保 白船(くぼ はくせん)

久保白船 自由律俳句

本名・久保周一
1884年 – 1941年

層雲で活躍した周防三羽ガラスの一人(あと二人は種田山頭火江良碧松)。
「層雲」同人となり、自由律俳句の句作に励み、層雲選者にもなる。
穏やかで味わいのある句風を持つ俳人で、友にも慕われた。
徳山駅付近に移ると、白船のもとに文人が多く集まったという。
山頭火の親友でもあり、山頭火の死を聞くと、急ぎ駆けつけて荼毘にふし戒名をつけた(山頭火心居士)。

代表句

・海の青さ山の青さに雲重なれり
・踞ればふきのたう

略歴

山口県平生町佐合島の醤油醸造業の家に生まれる。
県立山口中学時代から俳句を作り始める。
卒業後は島に戻って家業を継いだ。
大正5年に子供の教育のために、徳山駅付近に移り、文房具と書籍を売る店を開く。
また、「雑草の会」を主宰。
日本水彩画会入選など、絵画の方面でも活躍した。
昭和16年に58歳で亡くなり、法名は「至誠院釈乗豊白船居士」である。
遺骨は生まれた地である佐合島に還った。
遺句集「ふきのたう」がある。

参考文献

踞ればふきのとう

江良碧松

江良 碧松(えら へきしょう)

江良碧松 自由律俳句

本名・江良松蔵
1888年(明治21年)4月11日 – 1977年(昭和52年)2月23日

周防の自由律俳人として種田山頭火久保白船と共に初期のころから活躍。
層雲における「周防三羽ガラス」の一人である。
郷里で農業を営みながら詠んだ句は日常性の中から芸術性を紡ぎだしていると評価されている。

代表句

・飲んだ水みんな汗にしてはたらく
・月はまろし水の中にてもまろし
・生まれた家に一生くらしてつくつくぼうし

略歴

現在の山口県田布施町で農家の長男として出生。
麻郷尋常高等小学校を出た後、農業をしながら句作を行う。
自由律俳句の結社「一夜会」を仲間と作り、翌年には層雲に加わる。
層雲紙上で周防三羽ガラスと言われるほどの活躍を見せる。
大正末期から昭和22年までは句作を行わず。
句作を止めていたのは長男が事故死したことと次男と三男が戦争で亡くなったのが原因とされている。
昭和22年に碧会(みどりかい)を作り、俳句界に復帰。
後、碧会は周防一夜会と改名されている(S49)。
井泉水から寿老賞、井泉水賞などを受賞している。
また山口県教育委員会から芸術文化功労賞も受けている。
昭和52年に享年88歳で亡くなる。
句集には「松吹く風」がある。

参考文献

飲んだ水 みんな汗にしてはたらく―現代人の心のオアシス 江良碧松自由律俳句集

青木此君楼

青木此君楼(あおき しくんろう)

本名・青木茂雄
1887年(明治20年)4月13日 – 1968年(昭和43年)2月20日

最初、定型俳句を作っていたが、自由律俳句に転身し、1915年に層雲に加わる。
俳句の短律表現を極めようとし、短律俳句全盛の頃、その代表的俳人と見なされていた。
その後も短律運動を貫く。
俳句は天平精神に立ち返るべきことを提唱したこともある。
「新俳句」(後、「木槿」に改称後、「新俳句」に戻す)を仲間と創刊、選者となる。
句集として「此君楼」「柊の花」「流れ木」「せきれい」などがある。

代表句

・炬燵に寄りて母の日
・涼しさに一人去り二人去る
・草は月夜

略歴

福井市生まれ。
福井中学校を卒業した後、内務省や京都市役所、福岡県田川郡の山下鉱業宮尾炭鉱、広島県安芸郡越村、大阪市天王寺区椎寺町で文房具商、大阪市北区役所、大阪市立扇町高等女学校など、住所、仕事を転々とする。
杉山律子と結婚、子供は二男、四女。
胃潰瘍と老衰にて亡くなる、享年八二歳。
多磨霊園に墓地がある。

参考文献