執筆者:凡夫
タイトルにも書いたんですけど、山頭火にはこんな句があるそうです。
種田山頭火「水飲んで尿して去る」
いや、さすがに「これって俳句なの?」と言う声が聞こえてきそうですね。
しかも、山頭火と言えば、自由律俳句の世界では多分、世間で最も知られている人ですからね。
自由律俳句だから、季語もいらないし、字数も自由なんだけど、内容的にどうよ…と思うのは私だけじゃないはず。
まあ、俳句の名人だからと言って、必ずしも毎回良い句ばかり詠めるわけじゃないですから、 たまには、こんな句もあっていいんでしょうけどね。
でも、山頭火の代表的な作品を並べていたりすると、この句も何気に混じってたりするんですよね…
と言うことは、世間ではこの句も評価されてるってことなんでしょうか?
旅に生きた山頭火なら、水飲んで尿して去る…ってことも日常的にあったんでしょうが、何もわざわざ俳句に詠まなくてもと思います。
ただ、この句は山頭火が詠んだから価値があるという点もあるかもしれません。
結構、俳句と言うのは、その俳句単独の価値以外に読み手とセットになって詠まれることで、価値が高まるという点があります。
自由律俳句の場合で言うと、山頭火や放哉はその境涯と照らし合わせて、俳句を詠むことで感動が深まります。
だから、我々が
・酒飲んで尿して去る
・ジュース飲んで尿して去る
なんて言っても、誰も俳句として認めないでしょう。
でも、こうやって見ると、自由律俳句ってすごく自由ですよね。