中塚たづ子(なかつか たづこ)
1894年(明治27年)4月25日 – 1965年(昭和40年)4月25日)
1913年(大正2年)に自由律俳句の一方の旗手、中塚一碧楼と結婚する。1937年(昭和12年)以降、中塚一碧楼を助け「海紅」の発展に力を尽くす。
その後、海紅復刊を願いながら一碧楼は1946年に亡くなるが、翌年の1947年(昭和22年)にたづ子は「海紅」を復刊して結社を主導した。復刊の際、喜谷六花が主選、たづ子が編集という体制であった。
長野県下諏訪町水月公園に一碧楼の句碑のそばにたづ子の句碑がある。
句集には「天から来た雀」がある。
代表句
・牡丹いけて絆たちがたく今宵北に向いてねむる
・それゆへに湖の水にうつしてはゆく赤とんぼ
・付け火して黒き火焔になきたしと思ふ冬かな
略歴
愛媛県松山市出身、士族の神谷家(河東碧梧桐の遠縁)に生まれる。
昭和40年に71歳にて逝去。