島丁哉

島丁哉(しま ていさい)

本名・島 新
1877年? – 1948年(昭和23年)1月23日

層雲同人であり、俳画も書いた。
尾崎放哉と交流があり、小豆島時代には盛んに文通していたが、実際に会ったことは無かった。
放哉に句の批評を依頼し、その代わりに炭代を送っていたが、それが放哉の生活を支える一助となっていた。
放哉に「童子の放尿」を書いた絵を送ったが、この絵について放哉は「北朗来庵」で、北朗と二人で毎日見て喜んでいたと記載している。

略歴

現在の大分県宇佐市在住で、中津の富士坊績社で事務の仕事をしていた
行年71歳で逝去