杉本玄々子(すぎもと げんげんし)
法名・杉本宥玄
1891年(明治24年) – 1964年(昭和39年)
層雲同人。
荻原井泉水が小豆島遍路に来た際、層雲同人の井上一二と共に同行した縁もあり、俳句において井泉水の門下となった。
自由律俳人の尾崎放哉終焉の地となったのが、小豆島の西光寺奥の院南郷庵である。
この西光寺の住職として、井上一二と共に放哉の小豆島での生活を支えたことは有名である。
放哉は随筆の「入庵雑記」において、玄々子を「温厚親切其のものゝ如き方」と評している。
小豆島の土庄町にある尾崎放哉記念館の前庭に杉本玄々子の句碑がある。
代表句
・梅花無尽蔵十方月の光りなり
・少し生きすぎたと思ひ杖のよろしきを思ひ
略歴
小豆島八十八ヶ所霊場の第五十八番札所である小豆島西光寺(真言宗)の第26世住職を務めた。
参考文献